花が満開になる季節がやってきた。春爛漫(はるらんまん)とは、まさにこのような状態を言うのだろう。冬の間主役を張っていたビオラやパンジーはいつの間にか脇役となり、代りに旺盛に成長したアネモネやチューリップの存在感が全体を支配するようになった。この勢力図は、季節の進行に伴ってさらに移り変わっていくのであるが、今しかないこの姿を楽しむのが植物を育てている醍醐味と言えるだろう。
比較的最近寄せ植えに入れたヒューケラは、まだあまり成長しておらず、全体を引き締める働きは十分にできていない。
アネモネは、球根を植えれば、ほとんど手間いらずで花が咲く。咲き終った花柄を摘んでいれば次々と蕾(つぼみ)が上がってきて、美しい花を長期間楽しむことができる。是非、寄せ植えや花壇に加えたい品種である。
チューリップも咲いた。昼近くなってから撮影したので、花が開ききってしまっている。暗くなると花が閉じるので、早朝に撮影すればチューリップらしい写真が撮影できるはずだが、朝寝坊の私はいつもその機会を逃してしまう。今年のチューリップはすべて去年咲かせた球根を再利用したものだが、結構な確率で花を咲かせてくれた。チューリップの球根は、再利用しても花が咲かないと思い込んでいたのだが、間違っていたらしい。
こちらも絶好調だ。ヒューケラがもう少し存在感を示してくれると、良いと思うのだが。隅で小さくなっていて、いつまでも脇役のままだ。季節が進む中で、ヒューケラがもう少し大きくなってくれると良いのだが。
この状態も、にぎやかでよいと思う。コンテナに植えている植物は、先にお見せしたものと同様である。
こちらは、原種系チューリップの蕾。よく見かけるチューリップに較べると小さく、野性味豊かな花が咲くのだが、「植えっぱなしでも毎年咲く」とと書かれていたので、次に植える時は花壇に植えてみようか、と思っている。
9日のチューリップの蕾は、翌日には花開いた。これも、開ききっていてチューリップらしくない咲き方だ。が、これはこれで良いと思う。
長く休んでいた金魚草もようやく開花を始めた。近いうちに、満開の金魚草の姿をお見せできることだろう。金魚草も育てるのが簡単で、良く咲く品種である。季節にもよるが、園芸店で取り扱われている可能性が高いので、比較的容易に入手できる。これもおすすめだ。
アネモネの素朴な花の姿は私を魅了する。素直に美しいと思う。そしてアネモネを見る時、私はいつも聖書の言葉を思い浮かべてしまう。
野の百合は如何(いかに)して育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。されど我汝らに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)この花の一つにも及(し)かざりき(マタイ6:28-29)
アネモネの原産地はヨーロッパ南部から地中海沿岸という。聖書の地に自生して咲く花だ。以前も書いたと思うが、聖書に名高きこの聖句の「百合」はアネモネのことだという説がある。イエスが指した野に咲き乱れる花々の中にアネモネも咲いていたはずなのだから。